中央銀行がヘッジファンドに負けた日 〜英ポンド危機とは?〜

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中央銀行がヘッジファンドに負けた日
〜英ポンド危機とは?〜

| イングランド銀行を潰した男

ジョージ・ソロス。世界で最も有名な投資家の一人です。

ジム・ロジャースと共にクォンタムファンドを立ち上げたのが1969年のことですから、ヘッジファンドの世界ではとても長いキャリアを持っています。

ジョージ・ソロス(George Soros、1930年8月12日 – )
ハンガリー・ブダペスト生まれのハンガリー系およびユダヤ系アメリカ人の投資家・投機家、慈善家。「イングランド銀行を潰した男」の異名を取る。引用:Wikipedia

そして、その名前が一躍知られたのが、1992年の英ポンド危機です。イギリスの中央銀行であるイングランド銀行と、ジョージ・ソロスをはじめとするヘッジファンドがぶつかり合い、英ポンドが売り崩され、ヘッジファンド側は莫大な利益を上げた一件です。

ソロスは、当時の英ポンドが過大評価されているという判断のもと、英ポンドの売り崩しを始めました。

では、なぜ英ポンドは過大評価されていると判断したのでしょうか。これが、そもそも英ポンド危機が生じた最大の理由です。

当時、英国はERMという通貨の枠組みに参加していました。

欧州為替相場メカニズム(おうしゅうかわせそうばメカニズム、英語表記:European Exchange Rate Mechanism, 略:ERM)=ヨーロッパにおける為替相場の変動を抑制し、通貨の安定性を確保することを目的とした制度。引用:Wikipedia

これは将来、欧州各国の通貨を統一させる、つまり現在のユーロ実現に向けての足場固めでした。ERMでは、この仕組みに参加している欧州各国の為替レートを、一定範囲内に抑えなければなりません。そして、この一定範囲から外れそうになった場合は、その国の政府が金利を動かしたり、為替介入をしたりして、一定範囲内にとどまるように努力をするという決まりになっていました。

 

| 明らかに割高になっていたイングランド銀行の金利

1990年、ベルリンの壁が崩れ、東西ドイツが統一されました。これにより、ドイツ国内ではさまざまな消費需要が一気に高まり、物価が大きく上昇しました。結果、ドイツは利上げを続け、1992年9月時点では8.75%まで上昇しました。

一方、イギリスは不景気の最中であったにも関わらず、1992年9月時点の金利は10%でした。

相対的に景気が良いドイツの長期金利が8.75%で、景気が悪いイギリスの長期金利が10%というのは、なかなか説明できません。しかもイングランド銀行は、ERMで英ポンドが一定範囲内を外れて売られそうになるのを、必死に買い支えていました。

これらの状況から、ソロスは「英ポンドは明らかに割高になっている」と判断し、英ポンドの売り崩しを決断したのです。

本来、中央銀行に立ち向かって英ポンドを売り崩すなど、無謀な行為のように思えますが、ソロスには勝算があったのでしょう。日本円にして1兆2000億円もの資金を、この取引に投入しました。

ソロスの英ポンド売りに対して、イングランド銀行は利上げで対抗しました。金利が高くなれば、英ポンドを買いに来ると考えたのでしょう。また、同時に440億ポンドあった外貨準備のうち150億ポンドを市場に投入して、英ポンドを買い支えようとしたものの、英ポンド売りは止まりませんでした。

多くの市場参加者は英ポンドがさらに下がると考え、ソロスの動きに追随してきたのです。

しかも、自国通貨を買い支えるためには、多額の外貨準備が必要になりますが、ひたすら自国通貨を買い続ければ、外貨準備も底を尽きます。ソロスはその弱点が分かっていたのです。

 

| イングランド銀行の敗北宣言〜ERMの離脱へ〜

結局、イングランド銀行は1992年9月16日に、ERMからの離脱を公表。これをもってイングランド銀行は敗北宣言をしたのも同然となりました。イギリスがユーロに加盟しなかったのは、この件があったからです。

さて、イギリスはユーロからの離脱という件をめぐって、再びポンド危機と同じ状況に直面するのでしょうか。投資家は、こうした過去の経緯を踏まえて、EUからの離脱が英国経済にどういう影響を及ぼすのかという観点から、英ポンドの今後を見ていく必要がありそうです。

EU離脱で進んだポンド安はどこまで進むのか!?

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